アキレス腱断裂保存療法の記録1 装具卒業まで

筆者プロフィール70代女性 趣味:ゲートボール

70代女性のアキレス腱断裂後、保存療法からリハビリまで全7カ月の経過をまとめてみました。
この年代のブログが見つけられなかったので、アキレス腱断裂を経験された同世代の方々の参考になれば幸いです。

まずは断裂後保存療法決定から装具が外れるまでの経過を一覧にしました。

断裂当日:
練習試合中に右足アキレス腱を33年振りに再断裂。
33年前は、テニスでボレーをした直後断裂し歩けなかった(右は33年前描いた自画像)。
今回はしばらく休んだら歩けたので断裂ではないと思ったが、それでも尋常ではないと感じてタクシーで帰宅、近所の整形外科まで歩いて行った。
そこで完全断裂と診断され、大学病院への紹介状をもらう。

翌日大学病院で保存療法を決める。
再断裂であること、年齢、手術後の感染症の恐れ等の理由から担当医に保存療法を勧められ了解。
実は大学病院の手術のスケジュールがパンクしていたという事情もあったらしいが、担当医は信頼できそうな人物で説得力があったし、抗生剤など使いたくなかった。
その場でギプスをする。
伸縮性のあるパンツだったので突然のギプスでも脱ぎ着に問題はなかった。
一方、松葉杖で大学病院内を移動するうち10歩ごとに一息つきたくなり、33年前のように松葉杖で自在に動き回ることはできないと悟った。

松葉杖が無理とわかり、ハイハイ・膝歩き・お尻歩きの3択で途方に暮れていたところ、息子夫婦が家具を移動してくれてキャスター付き事務椅子で動き回れるようになり、状況が大幅に改善した。
ただし洗面やトイレなど段差が多かったので大小のキャスター付き椅子を追加で用意し、行く先々で乗り換えなければならなかった。キャスターによっては動きが良すぎて乗り換えが完了する前に滑り出してしまい転倒したため、キャスターに合わせて薄手のカーペットを敷いた。

また、松葉杖でごみ袋を持って玄関のドアを開けるのは無理だったので、ゴミ捨てはできるだけまとめて息子夫婦に頼んだ。
買い物はネットスーパーと決め、玄関前に置き配用のボックスを用意し、とりあえずボックスに入れてもらって後から少しずつ室内に運び込んだ。

何を取りに行くにも今までの3倍時間が掛かっていたので、リビングで寝起きすることにした。
結局一番活躍したのは息子夫婦が買ってきたニトリの小さなワゴンだったかもしれない。
ワゴンには最初はライスのパック等食材を詰められていたため重宝とは思わなかったが、文具、薬、ティッシュ等頻繁に使う物をワゴン1か所にまとめてみたら予想以上に便利だった。
歩き回れるようになったら元の場所にそれぞれ戻すつもりだったが、今でも便利に使ってしまっている。

キッチンや洗面など立ったまま作業をするところではギプスの足を床につくわけにいかず、それを見越した息子夫婦がニトリの折り畳み入スツールを買ってきた。
しかしキッチンでは高さが合わず、よくある折り畳みの踏み台に患足を乗せて料理をしていたが、ある時物を取ろうと手を伸ばし踏み台に体重を掛けたら踏み台が横滑りし転倒した。
入浴は断裂翌日から自己判断でビニール袋を足に巻き、1日置きにシャワーを浴びた。
ただし脱衣所から浴室への移動は大変で、あちこちつかまりながらキャスター付きローチェアからバスチェアに乗り換え、ギプスが濡れないようプラスチックのごみ箱を足台にした。

通院は毎回タクシーを使ったが、それでも外出はオオゴトだった。
松葉杖で両手が使えないため開けたドアを手で支えることができず、頭や肩で押しながら通り抜けた。
スマホはネックストラップを買って首から下げた。
大きなエコバッグを改造し、ボディバッグのように首と肩を通せるようにして、大型封筒ぐらいは運べるようにした。
それでもタクシーの乗り降りには苦労し、タクシーのドアが開いた場所に縁石があるだけで、どこに松葉杖をつくか考えて降りなければならなかった。
マンションのエントランスドアはキーで開ける仕組みだったが、キーを回してから松葉杖でドアに向かう途中で機械音がしてドアが閉まってしまった。良く見たらドア本体にも鍵穴があるのに気づき、以降はドア本体の鍵穴を使って中に入った。

担当医は近所の整形外科病院に隔週でしか来なかったので病院での待ち時間は毎回2時間近くなり、質問する時間も全くなかったが、外科医不足と聞いていたので診てもらえるだけで感謝だった。
3週経過後ギプス交換の際ギプスにヒールが付けられたが、足首を伸ばして固定されていた上ギプスが邪魔で指先が曲がらず歩行は無理だった。

5週経過後ギプスから短下肢装具に変わった。
諸先輩のブログで装具が重いと知っていたので予想通りだったが、解放感は全くなかった。
担当医から説明を受けることがなかったので夜は外して寝ていたが、夜も装具を着けたままという諸先輩のブログを後から読んで驚いた。ベッドは使わず床に布団を敷いて寝た。ベッドだと夜中に寝ぼけて患足で歩き出すかもしれないと考えた。さすがに床から立ち上がるのに患足を使おうとはしない。さらに、患足に靴下を履いて目印にした。

病院で購入した装具は5万程度で保険適用のため、申請すると差額が戻ってくる。

パーツの画像の通り多くの部品でできていて、細かいサイズ調整が可能である。切れたアキレス腱の端どうしをできるだけ近づけるため、最初は足首を伸ばすようにヒールが高くなっている。パーツ画像(クリックで拡大)中の右側に輪ゴムでまとめてあるのが4段のヒールで、最初はこの4段から始めて1段ずつ減らしていく。
装具になるとなんとか歩けるとわかり、徒歩2分のスーパーに初めて買い物に行った。暑い季節、キュロットで出かけたら当然ながらすれ違う人達の視線を感じた。さらに装具の面ファスナーがキュロットの裏地の糸にからみ、糸が切れそうだったのでキュロットは断念。仕方なくワイドパンツを買った。

7週経過後担当医からヒール1段除去の許可が出た。その日初めて徒歩7分の病院から歩いて帰宅してみた。途中ファミレスで7週間振りの外食をした。息子にファミレスランチを写メして自慢した。

シークレットインソール

装具のお陰で歩けているとは言え、左右の足の高低差が大き過ぎたので、健側は前の画像のようにハイヒールサンダルにシークレットインソールを付けたら、多少とも歩きやすくなった。
使わなくなっていた松葉杖を2か月経過した時点で病院に返却したが、返却が遅かったため差額を支払った。

外出時の健側には厚底のスニーカーにシークレットインソールを入れた。いずれ使わなくなるのはわかっていたので、厚底スニーカーの選択は足のサイズが同じ孫娘に頼んだ。
ただし、ハイヒールや厚底は健側のアキレス腱を無駄に縮めていたかもしれない。
装具のまま電車に乗るようになったが、あえて装具を見せつけながら乗り降りし、人に押されないように気を付けた。

8週経過後1~2週ごとにヒールが1段ずつ減らされていった。同時にリハビリが開始されたが、マッサージが中心で足首を動かすことはなかった。
保存療法はリハビリ次第では手術と大差ないとインターネットの記事で幾度か読んだが、リハビリ開始が遅かった上マッサージ中心だったので、かなり心配だった。

その一方で、多くの病院や接骨院のサイトで見かけるリハビリスケジュールと患者のブログにはかなりの隔たりがあることに気づき始め、病院や接骨院のサイトは見なくなった。
また、手術後の痛みを訴えるブログも多く、年齢を考えると保存療法でよかったと思うようになった。

担当医は隔週しか来ない上夏休みが入ったため、装具卒業は14週目、ギプスと装具の生活が100日近くに及ぶ予定だった。
11週目よりセラバンドを使った足首の運動を指導されたが、病院や整骨院のサイトのリハビリスケジュールと比べるとあまりに遅かった。
そこで担当医の許可を得ないまま装具卒業予定の2週間前には自宅では装具を外していた。

また、奥歯に痛みを感じ歯科医院に行くため、装具を着けたまま初めて電車を乗り継いで移動した。
最初の外出が歯科医だったという断裂の先輩のブログを読んだ時、ギプスで動き回れないと歯磨きもおろそかになるのかもしれないと思った。

担当医は装具を許可なく外すフライングを予見していて理解を示してくれた。
100日間で一番ショックだったのが装具を外した日だった。まともには全く歩けなかった。

以前、市立のスポーツ専門の理学療法士さんにお世話になったことがあったので、なんとかまたあのゴッドハンド(正確にはGoddess hand)にリハビリの指導をお願いしたいと考え、ギプス卒業の日に担当医に紹介状をお願いした。
市立の病院での経験を話すと、担当医は「本来はそうあるべきなんだけど…。」と言って転院を快諾してくれた。
終始患者を励ましてくれる良い先生だった。

転院先でのリハビリについては、次回に。